
ある日、私はインターネットで里親募集の情報を目にしました。7匹のハムスター(仔ハム)の里親を探しているという内容でした。小さい頃から人に慣れたハムスターは、とても育てやすいのが特徴です。愛情をかけられているので人懐っこく、人の手にも慣れている子が多いからです。それだけでなく、栄養もしっかりと行き届いているため、ペットショップで見る子たちよりも少し大きく成長していることが多いのです。その中で私の目に留まったのが、長毛の女の子。目の周りが白く縁取られたセーブル柄の彼女は、まるでパンダのように可愛らしくて、一目惚れしてしまいました。私は彼女を「ぷーち」と名付けました。ぷーちが我が家に来た日は、その小さくてかわいい姿に口元が緩みっぱなしだったのを今でも覚えています。そして短い生涯の中で、ぷーちは私に大切なものをたくさん残してくれました。
ぷーちの運命:私の選択と後悔
ぷーちが我が家にやってきて、先にいたハムスターとの間に数匹の子どもが生まれました。しかし、ぷーちは子育て中に体調を崩し、残念ながら亡くなってしまうのです。
ある朝、ぷーちの様子が普段と違い、少し興奮しているようでした。彼女が1匹の赤ちゃんハムスター(まだグミほどの大きさ)を手にもった次の瞬間、それが鬱血したのがわかりました。ハムスターは、育たないと感じた子を自分で処理してしまうことがあり、その子もその運命だったのでしょう。この光景を見たショックで、その日は仕事に行くことができませんでした。
子どもたちの成長に差が出始めたため、大きく育った数匹を別のケージに移してぷーちの負担を軽くすることにしました。まだ小さい子たちだけを、ぷーちに任せたのです。今思うと、この時に全ての仔ハムを、ぷーちから離しておけばよかったのです。ある日、彼女の目が少し傷ついていることに気づきました。目に傷があるのは、体調が悪いサインです。彼女の体調は日に日に悪化していくようでした。数日後、病院に連れて行き入院しましたが、そのまま回復することなく亡くなってしまいました。
病院での対応には悔いが残りました。弱っていたぷーちのそばにあったのは、固形のペレットでした。それを見たとき、私はぷーちに対する申し訳ないという気持ちと、病院に対しての怒りがこみ上げてきました。今の彼女に、そんな硬いものをかじれるわけがありません。食べやすい状態の練りエサや水分を用意して、直接口元につけてあげなければいけないのです。もっと早く気づいて、違う対応をしてあげられたのではないかと、長い間後悔しました。しかし、ぷーちが残してくれたかわいい子どもたちが、そんな私を癒してくれました。
ぷーちの子どもたちとの新しい毎日

ぷーちの死後、私たち家族には子どもたちを育てるという新たな役割が残されていました。本来なら、まだ母親と一緒にいる時期の子たちを、代わりに育てることになったのです。ミルクをあげたり、食べやすく砕いたペレットを用意したり、家族総出で世話をしました。ご飯をあげようとすると、子どもたちは、わらわらと手に登ってきて、まるで私たちを母親の代わりとして思っているようでした。まんまるい姿はかわいく、取っ組み合いをする様子は、小熊のお相撲のようで、とても微笑ましかったです。
すべての子どもたちを我が家で育てるのは難しかったため、早めに里親を探しました。自分で食事ができるようになった頃から、1匹また1匹と新しい家族の元に旅立っていきます。ホームページがあることを条件に里親を募集していたので、その後の様子がわかり安心できました。
ハムスターは縄張り意識が強い生き物です。 我が家でもある程度大きくなった子たちは、一匹ずつ専用のケージで暮らすことになりました。こうして、我が家には「ハムちゃんマンション」と呼ばれるスチール棚が登場したのです。
小さな命との奮闘:不正咬合の仔ハムのエピソード
ぷーちの子どもたちの中には、すくすくと成長する子ばかりではありませんでした。ある日、子育て中のぷーちを観察していると、1匹だけいつもママからミルクをもらう集団から放り出されている子がいました。何度お腹の近くに戻しても同じです。不思議に思い、その子を手に取ってみると、歯の噛み合わせが明らかにおかしいことに気づきました。上の歯だけが異常に伸びて、ミルクを飲むことができないのです。その日はミルクを口に入れてあげながら様子を見守り、翌日すぐに動物病院へ連れて行きました。
ぷーちの死の経験から、病院選びには慎重になっていました。そして、東洋医学も取り入れている信頼できる病院に行くことにしました。以前、別のハムスターが体調を崩した際にお世話になったことがあるのです。 診察室で先生は、その子をひょいと持ち上げ、一言「これはあかんわ」とつぶやきました。そして、小さな爪切りで伸びすぎた前歯をパチンと切り、その子をやさしく撫でてくれたのです。歯の成長は止まらないため、定期的に切り揃える必要があります。その日から週に一度の病院通いが始まりました。自分で爪切りを使って切ることもできましたが、少し怖さがあり、体調管理も含め先生にお任せすることにしたのです。
その子に「チビ」と名付けました。歯を切ると、チビは自力でミルクを飲めるようになり、少しずつ元気を取り戻していきました。とはいえ、硬いものを噛むことはできません。それでも、彼女がペレットをかじる仕草をしているのを見かけると、あきらめないことの大切さを感じました。ペレットをすりつぶして練り餌を作るのが私の役目です。時には、練り餌に粉ミルクやはったい粉、ひまわりの種をすり潰して混ぜるなど、工夫をして栄養を補給してあげました。
こうした特別なケアをすることで、チビは少しずつ体力をつけていきました。小柄でしたが、ころんとしたかわいい姿に成長し、見るたびにそのかわいさに心が癒されました。彼女の生きる力は、私にとっても励みとなり、特別な思い入れを持つ存在になっていったのです。
まとめ

ぷーちが亡くなった後、「あの時、もっとこうすれば…」と何度も振り返り、時計の針を戻したいと考えてばかりでした。彼女は、私に「どうにもならないことがある」ということを教えてくれたのです。そして、同時に、私たちにかわいい宝物を残してくれました。ぷーちの子どもたちを育てることは、私にとって癒しとなり、とても貴重な経験として心に残っています。彼女との別れは悲しいものでしたが、その子どもたちは、私に新たな始まりの意味を教えてくれたのです。
haruka_moon-8著
